パールレース総合優勝のShallon V (杉田荘太郎オーナー)の参戦記です

180マイル(海里)先の奇蹟

 2010年7月19日6時38分00秒(以下2010/07/19/06:38:00と表記)は僕にとって生涯忘れられない時になった。その瞬間、僕のような素人同然のセーラーにとってパールレースでの総合優勝という夢想だにしなかった事(奇蹟)が起きてしまったのだ。

序章(Prologue)
 2010/07/17/12:25、五ヶ所湾口にて一回のジェネリコのあと第51回パールレースは始まった。今回、我々はオーナーの僕、杉田、を除けばほぼベストメンバーで臨んだ。チームはハリケーン社長の石川氏、同社社員でマッチレースを連戦している白山氏そして今春の沖縄レースのクルー4人および杉田の7名で構成されていた。簡単にこれだけのメンバーは望めない。微風の中、艇団は各個ばらばらに進路をとる。神ノ島に対してはほぼ真上りに近い風角である。ポートにタックして高さを稼ごうとするものは、沖には行けても西に流されてしまう。我々のようにスターボに風を受ける者は布施田に向かっていく。灼熱の中の我慢比べが始まっていた。
 タックを繰り返しつつ徐々に神ノ島ににじり寄るような展開になった。時間は容赦なく流れていく、午後3時過ぎベンガル7などの先行艇が神ノ島をパスしてリーチングに入るのが見える。そこまでは手の届きそうな間である。しかし、さらに1時間以上の時間を要した。このような場面では、電子海図がかなり有効であることが分かった。非常に小型たでUSB接続のGPSアンテナから送られてくる自艇の位置と海図の目標点をハンディーGPSとは視野が全く違う(ひろく、明るい)PCに表示させながら短い間隔でタックを繰り返して神ノ島の白波を確認しパスした。やっとリーチングのお時間だ。ここまででデイセーリングの一日分以上の汗をかいた。
 2010/07/17/16:00以後しばらくはNo1ゼノアでのリーチング続いた。我々は全体の中位を維持していると思われるが、とにかくレースペースが伸びない。渥美半島沖に到達するまでに最初のロールコールになってしまう。

とにかく我慢の中盤

 2010/07/17/18:00のロールコールでは、まずまずの位置をキープできていた。しかし相変わらずペースは遅い。この時我々中位艇団はやっと大王崎沖に達していたにすぎない。日は完全に西に傾き、間もなく日没である。ペースが上がらない理由は最低で1-2kt、早いと3ktの逆潮の影響が大きい。MAX10m/s程度の軽いパフが入って6-5ktの艇速を記録しても、GPSからはじき出される対地速度はいいところ4ktである。日暮を迎えるころから風少しずつ湿気を帯び、南に振れる。我々はガンポールジョネーカーのアップの準備をし、その機会をうかがいつつ確実にログを稼いでいった。風速が上がらないときには人力でアンヒールさせる。風速が上がればまた元に戻す。そんなことの連続である。しかし今回新調したメンセールは、少しの風を受けるだけで素晴らしい形状を保ってくれる。Shallon Vはメンスルがルーズフットなのでそのカーブは手の届くところまで変化しない。それはまるで女性水着のCMに出てくる二十歳そこそこの女の子のビキニのヒップラインのようにたるみがない。結構、目の保養になる(ハリケーン+ドイルセールの力作であることが分かる。)。そんなオヤジギャグはさておき、船は石川、白山両スキッパーのヘルムのもと、暑さと湿気に耐えながら、中、微風のなか、夜を徹して東に進んだ。
 僕は、2010/07/19/00:00のロールコールのまえ1時間ほどキャビンで仮眠をとった。仮眠の前には銀河と共に広がる満天の星を堪能した。ロールコールはラッキーレーディー7からの「第51回パ−ルレース参加艇各局、、、、。」の前触れで始まる。前回までの記憶はないが、今回のオペレータは女性である。艇名の末尾に「、、、さん」がつく、丁寧で歯切れがよく聞きやすい。またアホードリIIIを呼び出すときなど、「アホードリさんさん。」などと聞こえてくる。なんか微笑ましい。ロールコールが始まって45分ぐらいたつと衛星携帯からの情報もVHFから聞こえてくる。00:00時では艇団は団子状態である。風速は5m/s程度で不安定。ベンガル7がやっと浜名湖の沖に達している。我々は赤羽漁港の沖である。遅いとにかく遅い朝までに御前崎に到達できるのか、、、?
 午前3時過ぎ突然スコールがきて一旦風速が上がる。白山スキッパーがクルーにジョネーカーアップの指示を出す。さあーお待ちかねの時が来たぞと思ったが、甘かった。スコールが収まり、空が白みだすと風速が極端に落ち始めた。ここからが我慢大会の本番であった。
 2010/07/19/06:00では我々は浜名湖の出口をやっと過ぎた位置である。クラスAのエスプリが飛び出している。しかし日が昇るにつれてどんどん風速は落ち(0-5m/s)、対地で1-2ktしか記録しない。時には0〜マイナスktもある。バウは東を向いていてもGPSプロッター上では反転している。2ktに及ぶ黒潮反流のせいである。灼熱の太陽の下、のたうちまわるような展開である。他艇も同様でなんとか風を拾おうと沖出ししたり、岸よりしたりするが、安定した風は望めない。07/19の大半はCOCORIN(エリオット16m)やCONTESSAなどの大型艇と伴走していた。普段では考えられない展開である。この暑く苦しい時間帯で最も忙しかったのは食当であろう。彼は沖縄レースの経験を生かして限られた物資で飽きない食事を出してくれた。
 2010/07/19/12:00でも我々は御前崎の手前10nm程度までしか進めていない。潮と風速変化せず。数時間するとゴールライン消滅まで24時間を切る。DNFの可能性が脳裏をよぎる。御前崎周辺のエアポケットにつかまっている様子である。大型艇も先行艇も全く船足が伸びていない。このあたりからロールコールに反応できない船が出始める。ラッキーレディー7より先行するゲンガル7のほうがよく聞こえるときがある。Shallon Vもアンテナの高さが足りず後方艇からの中継をしたくても、一方通行になり、こちらが聞こえても向こうが取れない。午後3時を過ぎたころ、ちらほらとリタイヤの報が入電する。我々は富士山を目の前に見ながら同規模艇とともにのたうちまわっている。しかし石川スキッパーは決してあきらめるようすを見せない。クルーの一人M君も早くジョネーカーをアップして、ウインチをガリガリやりたいと意気込んでいる。オーナーの僕は、今回思い切って、一日休暇を伸ばしてきているのでぎりぎりまであきらめないことで腹をくくることにした。ここで投げたらすべて水の泡である。しかし、熱く遅い。こちらが船上BBQのネタになりそうである。ところがである、御前崎に接近するに従って、反流は相変わらずであるが、若干風向風速が安定し始める。今度こその期待が膨らむ。17:52時ついに御前崎通過。風速約10m/s。
 2010/07/19/18:00日没前のロールコール、自分の位置はベンガル7に中継してもらう。とぎれとぎれの入電からは確かに、エスプリはかなり先行しているが、2010/07/06:00に御前崎を通過した彼らが、まだ利島についていないとおもわれた。今回のレースでは海神ポセイドンはそのキャラクターに似ず、皆に平等である。そしてその時が来た。石廊崎に向かうにつれて風速は上がり(ガストで10-12m/s)、潮は徐々に弱くなる。当然ジョネカーはアップされ、本来のその役目を果たす。対地で6、7、8ktと艇速が上がる。FONTAINE(J109)、HINATAMARU(J/V40)を後方に従えている。SAIKIをはじめとした、同規模艇も後方のはずである。徐々に引き波の音が大きくなる。石廊崎灯台と思しき光が見えるときには、潮は影をひそめ、リーチングでジョネーカーに目いっぱい風をはらませ8-10kt overでかっ飛んでいた。Shallon Vはフリーで風速と風角が一定の理想的な状態になると、手がつけられなくなるほど速くなることがある。3年前は御前崎の手前で15ktを記録している。まさにモーターボート状態である。セールトリマーの負担も過大にはならないようである。とにかくとにかく待って、待ち続けた甲斐があった。石廊崎風力発電所が見え、遠くに利島が確認できるころ。艇速は10kt overまで上がる。僕はひどい老眼の目を酷使して、海図から利島の北端灯台(6秒間隔白色の点滅)を読み取りヘルムスに伝える。
 利島に近づくにつれ、さらに艇速は安定する。ヘッディングが下がり気味のため、石川スキッパーの「オールハンズデッキ」の指示が飛ぶ。全員でハイクアウトして船を起こし高さを保つ、目的はセールチェンジなしで利島廻航あるのみ。クランカーのM君は「ガリガリ君」と呼ばれながらウインチにかじりついて文字通りガリガリやっている。利島灯台を確認しさらに水路がうっすらと見える。その頃には07/18の真夜中が近づき、ロールコールのため僕はまたキャビンに入る。40-50nmを約6時間で走破した。それ以前とは比べ物にならに速さである。

奇蹟の予感

 2010/07/19/00:00ロールコールと利島廻航がほぼ同時であった。風速は約10m/s。廻航時にジャイブするが、ここで今回唯一と言っていいトラブルがあった。ジョネーカーのタックロープが飛んでしまった。しかしなんとかジョネーカーを回収し再度アップ。破損なし。デッキで大騒ぎしている間に、各参加艇の位置がVHFに入電した。僕はそれに集中した。自分たちの位置も気になるが、すでに他艇を大きく引き離しゴールした艇もあるのだろうか?VHFからは驚くような報告が飛び込んできた。まだレースを諦めていないすべての参加艇がレース海面にいた。我々もかっ飛んでいたなら、彼らも同様のはずである。しかし今この時間でもエスプリやベンガル7が我々と一緒にレースをしていた。信じられない。皆にそのことを伝える。あと50nm程度一気に行きたい。風よ落ちるな。昨年も一昨年もここからの勝負で負けてご褒美がもらえなかった。一昨年は江の島の手前でべた凪に会い順位を落とした。昨年はここまでは同規模艇とまったく互角の帆走をしたが、ここから一部の艇に離され、大島沖での2度のブローチングでジョネーカーを失い失速。今回はそれらの過去の経験を生かしてメンスルを新調したのである。その成果を期待したい。

奇蹟への助走

 新調したメンスルは利島から大島への下りで期待を裏切らなかった。大島近海では200度程度に風は後ろに回り、時たまそれなりのブローが入る展開であった。ブローが入るとバングを緩める、風速が落ちるとまたバングを引く、緩めるとき、メンスルは約三分の一程度シバーするが、それでも船を押す力を失わない。暗闇の中で本船や漁船を避けながらではあるが、船はストレスなく進路を江の島に取っていた。大島の西、真横で、一度No1ゼノアを張ったが、そこを過ぎてすぐジョネーカーをアップ。艇速は大きく落ちない。あとすこし、再度風が落ちないことを願う。

奇蹟の瞬間

 2010/07/19/05:00完全に夜が明け、江の島を前方にとらえる。風は弱まっているが、落ちてしまったわけではない。艇速6kt以上を維持。06:00、江の島沖に自衛艦を確認。あとすこしである。我々はFONTAINEと着順争いをしているようである。ジャイブマッチとなる。2度3度とジャイブを繰り返しながらゴールに向かう。ふと後ろを見ると、いつも争っている連中と思しき艇団がスピンをはらませながら追い上げてくる。こんなところで捕まってたまるか。自衛艦に接近して最後のジャイブを打つ、ポートに風を受けゴールに向かう。スターボ側のブイもしっかり視認している。最後は僕がヘルムをとる。FONTAINEは若干遅れている。行ける!!。そのままなにも邪魔されることなくゴールラインをまたいだ。心地よいホグホーンが聞こえた。わかるのは後であるが、この時が僕にとっての奇蹟の瞬間であったのだ。我々は、セールを整理しながらエンジンをかけハーバーへ向かった。そこにはラッキレディー8以外の同規模艇の姿はなかった。
 何らかのご褒美がもらえることはこの時点でほぼ確定したと確信した。しかし石川氏の表情が少し硬い、携帯でいろいろと情報をとっている。ビールを片手に休養すること約2時間、石川氏が言う「総合優勝はほぼ間違いない。」two night overのレースになり、レーテングが効いているとのことである。はっきり言って実感がわかない。表彰式まで残るように勧められたが、どうしてもその気になれなかった。今ここで自艇と別れる決心がつかなかった。彼女、船も、やはりメンバーなのである。今回はわがままを言わせてもらって、クルーに頼みこみ江の島に残ってもらい。我々はハーバーを後にした。我々が、大島沖の荒れた海面を機走していると携帯メールで総合優勝の知らせが入った。とにかく勝ったのだ。
 これを奇跡と言えば、今回の僕以外のメンバーは気を悪くするかもしれないが、僕にとってはそれそのものである。レースに勝つために始めたヨットではなかったし、この数年はろくに船に乗れていない。しかし今日は素直に喜ぼう。そして名古屋に帰ったら祝賀会でシャンパンファイトをしよう。僕のような素人でも一回ぐらいF1レーサーのまねをしても罰は当たるまい。やることはやったのだ。   

あとがき(Epilogue)

 我々は、強い西風を受けながら機走で五ヶ所に向かった。途中何度もひどいパンチングをくらって、御前崎沖でフォアステーを破損した。石川氏が素早く反応し、ハリヤードで応急処置をする。しかしその波と風も浜名湖沖を過ぎるころからはすっかり収まった。ビール片手の気楽な廻航に変わった。布施田を過ぎると、漁に出る海女さんたちと出会う。皆、手を振ってくれる。ここまで来ると家に帰ってきた気がする。我々は2010/07/20/15:00過ぎに五ヶ所湾口に達した。
 五ヶ所湾は昨日までのレースを忘れさせるかのように穏やかな表情で迎えてくれた。とにかくのどかで静かである。この静かさが志摩ヨットハーバーの魅力である。名古屋近郊のハーバーでは味わえないものがある。この平穏がこれからも末長く続くことを願うのみである。レースのホームポートを引き受け、過去5回も僕を送り出してくれたてくれた皆に感謝したい。そして今回はご褒美をもらって帰ってきたことを謹んで報告させていただきたい。ありがとう。
 さらに表彰式をパスしてしまったが、江の島の皆さんにも同様の感謝を送りたい。みなさんの努力により今後ともこのレースが継続されることを望んでやまない。ありがとう、そしてまた再会する日を楽しみにしたい。
Thank you for the excellent hospitality in Enoshima by good people of JSAF. I’m regretting not to stay there for one night and more. However, it is not so long good-by, we shall return there in shortly with another miracle.  

Sotaro Sugita